日誌

感情はどのようにして育つのか?⑦

7 親に対して「よい子」であることを強く願うとき

親に対して「よい子」であることを願う場合というのは、反対にこわくて叱れない、叱りたくないという状況を生み出します。この場合、自分自身の前で子どもが「よい子」の顔を見せてくれていれば、子育てはとても楽しいのですが、自分の目の前で子どもが泣いたり、ぐずぐずしたり、言うことをきかなかったりすると、とても大きな不安が喚起されます。無意識的にですが、子どもが自分の言うことをきかないと、自分自身を否定されているような不安におそわれるのです。ですから、子どもがぐずぐず言わないように、「いつもにこにこ明るい子」でいてくれるように、子どもの機嫌をとりがちになります。子どもとの葛藤を恐れているのです。一見、とても民主的で対等な友だち親子であるようにうつります。親の前で「いつもにこにこ明るい子」である子どもは、親を癒す役割を担うことによって、愛されるという立場におかれることになります。子どもは親を大好きですから、親が不安にならないように、親を満足させることのできる自分を演出するようになります。

この関係は、たとえが悪いですがある意味、ペットとの関係に似ています。ペットは飼い主を癒す役割をもつものとして愛されます。飼い主の前でどのような顔を見せれば愛されるかをペットも学習していくわけですが、人間の子どももこのような関係の中では、同じことが起こります。子どもは身体的な存在ですから、身体からあふれてくるエネルギーをぶつけて、ぐずり、泣き、すねて、反抗します。そのようなネガティヴな感情をぶつけられると、親自身もとても不快な気持ちになります。他者からみて「よい子」であることを願っている場合には、叱りすぎてしまうのですが、親の前で「よい子」でいてほしいと強く願う親の場合には、不安や不快な気持ちにさせられること自体を避けようとします。

子育てによって生じる自分自身の不安や不快を回避することが親にとっては常に重要なので、子どもにトラブルが起こったときには、苦情を言う傾向が強くなります。「宿題を出さないでください」「あの子と席を離してください」「〇〇係にはさせないでください」などという学校への要求は、そのことをめぐって、子どもが家でネガティヴな感情を表出し、それにより親が不安や不快を感じ、その結果、自分自身の不安や不快を回避するためには、先生にお願いしようという発想になっている場合が多くあります。親の心の中にわきあがってくる不安や不快な感情を、親自身が受け止めることができないのは、叱りすぎる場合と同様に、親自身が育ってきたプロセスと関係があります。

子どもが親の理想を満たしてくれているうちは、親子ともに特に問題を感じないかもしれません。ところが、親の前で「よい子」でいてくれることのみをきわめて強く願っている場合には、成長とともに子どもが親を癒す役割をとれなくなったときに、精神的に捨てられてしまうということも起こります。親に不快な気持ちを引き起こす子どもは、かかわりをもたないという形で捨てられ、情緒的に一線をひかれてしまうということが起こります。援助交際やプチ家出などの問題に見られる民主的に放任された親子の関係は、まさにそのことを意味しています。子どもたちは居場所をもとめてさまよい続けます。