日誌

感情はどのようにして育つのか?②

2 感情はどのようにして社会化されるのか?

私たちはどのようにして、感情を獲得してきたのでしょうか?どのように育てれば、「思いやり」は育つのでしょうか?子どもの感情が親子のコミュニケーシヨンを通して社会化されていくという視点から、考えていきます。

赤ちゃんは感情をどのように表現するのでしょうか?おなかがすいたとき、暑いとき、寒いとき、おむつが汚れて不快なときなどに泣きます。「火がついたように泣く」という表現があるように、おなかがすいている赤ちゃんが泣くときの必死さには、生きようとするエネルギーが満ちています。私たちは、おっぱいやミルクを飲ませたり、おむつをきれいにしたり、ほどよくあたたかくしてやります。赤ちゃんは「泣く」という動作によって、自分の身体が「不快」であることを親に伝えます。そしてその「不快」が「快」に変化することを通して、外界が安全なものであることを、日々体験していきます。このとき、赤ちゃんは「安心感・安全感」という感情の基本となる基本的信頼感を得ています。外界は安全で、助けを求めれば助けてくれて、身体が安心だと感じることができるということです。この時期の発達課題である「基本的信頼の獲得」は、このような親子の相互作用の中で獲得されていくわけです。

このように、赤ちゃんが最初に獲得する感情は安心感・安全感であり、それは身体で感じているものです。この身体で体験している安心感や安全感が、感情が育っていくための重要な礎になります。育児において「スキンシップが大事」と言われてきたことはそういうことを意味しており、大事なのはスキンシップによって「身体で体験している安心感・安全感」を獲得しているのです。

10ヶ月くらいの赤ちゃんは、「いないいないばあ」をすると、大喜びでけらけらと大きな声で笑います。私たちは、笑っている赤ちゃんが「大喜び」しているとどうしてわかるのでしょうか?赤ちゃんは「大喜びだ」とことばで話すわけではありません。私たちは、赤ちゃんの示している表情や笑い声、しぐさから、赤ちゃんが「大喜び」していると判断しています。赤ちゃんの身体の中に、喜びのエネルギーが流れていることを感じ取っているのです。感情とは、身体の中を流れるエネルギーなのです。赤ちゃんが「いないいないばあ」が楽しくて、笑っているとき「楽しい」「喜び」といったエネルギーが流れているのを、私たちは感じ取り、それを「ことば」にします。身体を流れるエネルギーであるアナログの(量として体験される)感情が、「うれしい」「たのしい」というデジタルな(記号としての)「ことば」で名づけられ、結びつけられるわけです。

2歳くらいの子どもが、仮面ラィダーになりきって遊んでいるとしましょう。突然3歳の子どもがやってきて、変身グッズを奪い取ったとしたら、2歳の子どもはどんな反応を示すでしょう?泣き叫び、地団駄をふみ、顔を真っ赤にして、にぎりこぶしをふるわせるでしょう。この子の身体を流れているエネルギーは、非言語的に外に向かって表出されています。親や保育士など養育する大人が、その非言語的表出をくみとって、「くやしかったね」「怒っているんだね」と共感を示すとき、それは、身体を流れる感情を「ことば」で名づけるという子どもの感情を育てるかかわりをしていることになります。

物の名前をあらわす「ことば」は、現実に存在する「物」と「ものの名前」が一対一対応でつなげられることによって獲得されていきます。「感情」と「感情をあらわすことば」が一致したものとして獲得されていくためには、子どもが感じている感情を、推測して「正しく」言い当ててくれる大人の存在が必要だということになります。喜びのエネルギーが流れているときには、「うれしかったんだね」と、悲しみのエネルギーが流れているときには「悲しかったんだね」と名づけてくれる大人がいなければ、感情は「ことば」とのつながりを獲得することができないということになります。

このように、身体を流れる混沌としたエネルギーとしての感情が、「ことば」とつながり、「うれしい」「たのしい」「かなしい」「くやしい」「怒っている」といった「ことば」を使って、自分の身体の中で起こっていることを他者と共有することができるようになることが、「感情の社会化」です。感情は「ことば」によって社会化されます。つまり感情の発達、すなわち社会化のプロセスにおいては、親や重要な養育者との相互作用、コミュニケーションがきわめて重要な役割を果たしていると考えられます。

私たちは、これらのことをまったく意識せずに通過してきているので、「うれしい」といったことばで感情を表現すれば、それを聞いた人にもその感情は同じように伝わると思い込んでいます。