日誌

感情はどのようにして育つのか?⑪

11 ネガティヴな感情が社会化されないとき(3)

親の前で「よい子」でいてくれることを強く願っており、叱ることができないでいる場合にも、同様のことが起こるのです。虐待がある場合に、子どもの感情が解離することは、虐待についての研究などで以前より強調されてきていることですが、「叱れない」場合にも同様のことが起こっているということは、これまであまり認識されてきていないと思います。しかし、子どもがダブルバインド状況から逃れて、その環境に適応するために解離するという仮説を設定すると、この現象を理解することができるのです。

親が自分の前で「よい子」でいてくれることを強く願い、親が子どもとの葛藤を避けて、子どもがいつもにこにこしてポジティヴな感情のみでいてくれればよいと、意識的にも無意識的にも望んでいるときには、子どもがネガティヴな感情を表出したとき、親は非言語的に強い不安を表出することになります。葛藤を避ける傾向があるので、言語的に子どものネガティヴな感情を否定しませんが、非言語的には不安や怒りが表出されます。言語的には愛しているというメッセージを受け取り、非言語的には愛せないというメッセージを受け取るという矛盾したダブルバインド状態に陥ります。

小2男子 主訴:暴言や乱暴

小学校2年生のB君は、学校では野獣のごとく手におえない存在として問題児になっていました。ささいなことでかんしゃくをおこし、暴言をはき、注意されるとわけがわからなくなって乱暴をしました。困惑した担任が母にそのことを伝えると母は、驚いて信じることができませんでした。母は7年間B君を育ててきたけれども、そんな姿を一度も見たことがないのです。家では「王子様」であり、思いやりのあるやさしい子だといいます。父も母も一人っ子のB君がかわいくて仕方がありません。大事に育ててきたのです。

相談で母に、毎日B君に次のように言ってあげることをお願いしました。「あなたが学校でいや一な気持ちになるようなことがあったら、お母さんはそのことをすごく知りたいから、教えてね」。同時に、家でも手におえないやんちゃな姿がみられるようになったら、良くなっているサインであるということを母に伝えました。母がB君の「いやな気持ち」に関心を向け受け止めようと努力すると、わずか2週間で、B君はむかつく話を母にするようになりました。そしてその話を共感的に聞いているうちに、母に文句を言うようになったのです。それと並行して学校での問題行動は収まりました。極端な二面性はなくなり、家でも学校でも同じやんちゃな男の子の姿をみせるようになったのです。

ところが、「王子様」が突然母に反乱を始めたことは、母にとっては「理想の子ども」を失うということを意味し、大きな喪失感をもたらすものでした。ある日B君が自分を受け止めきれない母を批判して「母親失格だ」と叫びました。すると母は混乱して泣きつづけたのです。夜おそく帰ってきた父は目を真っ赤にした母に事情をききました。そこで父は、寝ているB君を起こして「お母さんを悲しませてはいけない」ということをこんこんと言ってきかせたのでした。B君がネガティヴな感情を社会化できないできた理由はここにありました。B君は自分の身体からあふれるネガティヴな感情を自然のままに表出すると母を不幸にし、父からも否定されるという関係性の中で育ってきていたのです。

その後、父も母も状況をよく理解し、子どもとしてのB君をありのままで受け入れることができる ようになりました。B君は、ベランダで虫を飼い始めました。これまでB君は虫がきらいと母に言っていましたが、それは母が好まないからであり、本当は虫を飼ってみたかったのです。

そういう本音が出せるようになり、2ヶ月後には何の問題もなくなりました。母は振り返ってこう話しました。「私たちは、子どもを愛していたのだけど、どこかペットのようにしていたのだと思います。私の理想の子どもであってほしかったし、王子様のようにかわいかったのです。今、子どもの人格を尊重するということがわかってきました。」

B君の事例は、大事に育ててきている場合であっても、虐待的関係にある場合と同様の感情の発達をするということを、シンプルな形で教えてくれた事例でした。B君の事例にみられたダブルバインド状態は、やんちゃな男の子であるB君が身体からあふれてくるネガティヴな感情を表出すると、母がたいへん不安になり、父は母を心配して、B君に母に不安な顔をさせるようなことをしてはいけないと制御するという関係から生みだされていました。B君は母にも父にも愛されるためには、身体からあふれてくるネガティヴな感情はないことにしていたと想定されるのです。

感情を解離させるのは、適応のためであり、子どもが親に愛されるためなのだということが重要なところです。家族が避けがたい不条理の中で懸命に生きているときにも、子どもは親に負担をかけないために、自ら感情をコントロールして、よい子になります。たとえば、親がガン告知をうけて手術をしたり、祖父母の病気の看病や介護を抱えていたり、リストラにより失業したり、兄弟姉妹にハンディキャップをもつ子が生まれたり、事故があったり、家族関係に不和があったりなど、親自身が必死に精一杯生きているとき、子どもは自らネガティヴな感情をないことにして、親を癒す子どもでいようとします。子どもは、本当にけなげな存在なのです。大人を助けるために不遇な環境に適応するために、自らの感情を解離させて適応するという感情のコントロールができてしまうのです。