日誌

感情はどのようにして育つのか?⑤

5 理想的な子どもを求める子育て

今日、「子どもを生む」という選択をした場合、私たちは無意識に「子どもをもつことによって幸せになること」を求めています。親が子どもをもって幸せを感じることができるためには、「子どもが親の期待に応える理想的な子どもである必要がある」という状況にはまりやすい傾向にあります。子どもの感情の発達が困難になっている背景には、「理想的な子どもを求める子育て」があるのではないでしょうか。

親が子どもを「よい子」に育てたいと願うのは、当然のことです。子どもは親にとっての夢であり、希望であり、生きる意味として存在します。大切な子どもに健やかに育ってもらいたいと願う気持ちは、当然愛情であるわけです。ところが、わが子を「よい子」に育てたいと願う願い方には、子ども自身が本当の意味で『よい子』に育つことを願う。他者から見て『よい子』であることを願う。③親に対して『よい子』であることを願う」という3つの方向性があるのです。「①子ども自身が本当の意味で『よい子』に育つことを願う」はある意味当然のことですが、これは「②他者からみて『よい子』であることを願う」「③親に対して『よい子』であることを願う」と両立する願いではないのです。本当の意味で「よい子」に育つということは、他者からみたら「よい子」と評価されなかったり、親に対してはうんざりする子どもであったりすることを意味しています。「②他者からみて『よい子』であることを願う」「③親に対して『よい子』であることを願う」を優先させているときには、子ども自身が本当の意味で「よい子」に育つことよりも、親の理想を優先させているという事態が起こっていることになります。

どちらが「よい子?」でしょうか。5歳のAちゃんとBちゃんが公園の砂場で楽しそうに遊んでいます。たくさん、お山や川をつくって、水を運んで、全身でダイナミックに夢中になって遊んでいました。4時になって、お母さんがお迎えにきました。2人ともスイミングスクールの時間なのです。「時間だから手を洗ってらっしゃい」と2人のお母さんが声をかけました。Aちゃんは、「は一い」とすぐに遊ぶのをやめて水道で手を洗い、お母さんといっしょにスイミングスクールに行きました。ところがBちゃんは、「いやだ一。もっと砂場する一。ママ、みて、これすごいでしょう。スイミング? いい…きょうは、行かない」と言って、砂遊びからもどってきません。

さて、私たちは、AちゃんとBちゃんのどちらの子どもを好ましいと思うでしょうか? 多くの人 が、Aちゃんのように振る舞う子どもを求めています。きちんと言うことをきける子どもで、すぐに切り替えのきく子どもで、動作の早い子どもです。Bちゃんのお母さんは悩みます。「どうしてうちの子はAちゃんのようにできないのかしら!」

しかし、感情の育ちという点から考えると、Bちゃんのほうが望ましい子どもです。砂場で夢中に なって遊んでいて、AちゃんもBちゃんも身体でわくわく楽しみを体験していました。このような全身の五感を通して身体と想像力を使って遊ぶことは、子どもの発達にとってきわめて望ましいことです。

楽しみのエネルギーが全身を流れているときに、それをストップするお母さんの声が聞こえてきます。その声を聞くと、子どもの身体はどのように反応するでしょうか?楽しみのエネルギーが逆流したようになり、「いやだ一、もっともっと遊びたい!」という感情があふれてくるのは、当然のなりゆきといえるでしょう。ですから、そこでBちゃんが「いやだ一」と叫んだのは、子どもらしい自然な感情の流れなのです。むしろ心配なのは、Aちゃんです。Aちゃんは、それまで自分の身体の中を流れていた楽しみのエネルギーを、お母さんの声を聞いただけで、ぴたっと止めることができてしまっているのです。身体からあふれてくるエネルギーの流れをぴたっと止めて、お母さんの指示に従うことができるということは、感情の育ちを考えたときに、むしろとても心配です。

幼いうちから「よい子」でありすぎると、思春期になってからさまざまな心の問題が生じてくることはよく知られてきていますが、「よい子」の問題とは、このような身体からあふれてくるエネルギーを大人の指示にあわせてぴたっと止められるように感情が発達してきているということなのです。このように、子どもの身体の「自然」が止められてしまっていることが、のちのち問題となってあらわれてくることがあります。

つまり、「①子ども自身が本当の意味で『よい子』に育つことを願う」ことと、「②他者から見て『よい子』であることを願う」「③親に対して『よい子』であることを願う」という願いは残念ながら、両立しないものであるということなのです。

私たちは、子どもに理想を求めるあまり、早熟に完璧な完成した子ども像を求めすぎる傾向があり、それが子どもの感情の社会化を困難にしてしまいます。