2020/6/22以前の日誌

2017年6月の記事一覧

2年生交流給食

 元気いっぱい2年生です。今日は交流給食です。給食も全力で取り組む2年生です。今日の
メニューの紹介をしているところです。上手です。
  

 
 2年生との給食はとっても楽しかったです。でもなぜかいつになっても「八木教頭先生」と言われています。内面も八木先生に近付くように努力します。

半田良平記念行事(2年生)

 2年生も半田良平記念行事にしっかり取り組んでいます。KLVの志村知子さん、福井公美子さんに紙芝居を見せていただきました。事前に練習をされ披露してくださいました。みんな食い入るように見ていました。有意義な学習ありがとうございました。
    

半田良平記念行事(5年生)

 6月13日(火)、今日は、5年生で半田良平記念行事が行われました。6年生と同様、半田良平顕彰会の小林夏江さん、津吹節子さんを講師としてお招きし、短歌作りを行いました。短歌の作り方を教わった後、校内で題材を探し、一人一人御指導をいただきました。

  

  

  

  


 自分の思いが言葉にぴたっとはまった感激を味わうことができた子も多かったようです。短歌作りの難しさ、楽しさを実感した2時間でした。では、第2の半田良平の歌を御堪能ください。

   春がすぎ きれいな桜も 散ってゆく けれど今度は 緑がふえる

   梅雨の時期 深いみどりの 木々たちは いれたてのお茶 雲たちは湯気

   学校の 竹がささやき 風がふき 美しい音 聞こえてくるよ

   たくさんの 自然が豊か 楽しめて 緑の空気が とてもおいしい

   桜の木 うすピンク色に そめられて 今は緑の 葉がゆれている

半田良平記念行事(4年生)

 6月12日(月)には、4年生が半田良平先生の生家を訪ねました。歌碑を見学したり、半田先生の生い立ちなどを質問したりして、意欲的に学習に取り組んでいました。郷土の偉人の偉大さを実感する学習となりました。

 簡単ではありますが、半田良平先生の紹介をします。
・明治20年、北犬飼村大字深津(現在の鹿沼市深津)に生まれる。
・明治26年、北犬飼東尋常小学校(現在の鹿沼市立津田小学校)に入学。素直でおとなしく、大変本が好きであった。
・明治30年、姿川尋常高等小学校の高等科(現在の姿川中学校)に進んだ。この頃にはすでに文学に興味をもっており、「少年世界」の懸賞や文芸欄に詩や短歌、俳句を投稿するようになっていた。
・明治33年、栃木県第一中学校(現在の宇都宮高等学校)に入学。東京の「中学文壇」にいく度となく入賞し、「半田は文学青年だ。」と呼ばれていた。
・宇都宮中学を7番というすぐれた成績で卒業すると、仙台の第二高等学校第一部英文科に入り、やがて東京大学の英文科に進んだ。小説を発表したり脚本を書いたり翻訳したりと作家になろうという希望を一層強くしていった。窪田空穂に出会い、歌人として一生を短歌の道にささげる影響を受けた。
・大正元年、大学を出ると、市立東京中学校の英語の先生となった。温かい心で、親切に熱心に教育にあたり、生徒から慕われていた。
・大正3年、結婚して5人の子をもうける。英語教師を続けながら、雑誌の歌の選や自分の著書の原稿を書き続け、作家としての道を進んでいった。
・大正8年、367首をのせたはじめての歌集「野づかさ」を出版。印刷した775部がまたたく間に売れ、大正13年に増刷。
・昭和19年5月19日 59歳の生涯を閉じる。
・死後3年を経て、第二の歌集「幸木」が門人たちの手によって遺歌集として出版される。精魂を傾けた晩年十年の作品1067首を集めたものである。これが、日本芸術院賞を得るところとなった。同賞は、現存の作者に授与するのがたてまえであったにもかかわらず、良平のみが死後に受賞したその意味は大きく、文壇への刺激となった。
・昭和24年、第一回栃木県文化功労賞受賞

 半田良平歌碑のうた
ただ一首の 歌にその名を とどめたる わが下野の 今奉部与曾布 (鹿沼津田小)
ふる里の 家の門みち 長ければ ゆきかへり見つ 日の暮れがたを (良平生家)
この原ゆ ただにそばたつ 男体の 山をかしこみ 草に座てあふぐ (松原団地)

  

  

  

交流学習

 6年生が石川小学校、池ノ森小学校の6年生と交流学習をしました。内容は写真のとおりです。みんなすぐ打ち解けて楽しく取り組んでいました。北犬飼中学校でもすごく楽しい交流ができそうですね。